米沢市ってどんなところ?
米沢市は山形県最南部に位置し、市街地は海抜240~260m、東に奥羽山脈、南は吾妻連峰、西に飯豊連峰と二千メートル級の山々に囲まれた盆地です。面積は548.74K㎡と広く、南北に28.2㎞、東西は32.1㎞もあります。気候は盆地の典型で、夏暑く冬寒いが、反面四季の移り変わりがはっきりしており、四季折々の情緒を肌で感じることができます。
明治22年、日本で市制が施行された最初の市の一つであり、人口は95,000人、内大学生が4,000人(国立山形大学工学部,県立米沢女子短期大学)と多く、文教の街学生の街の一面、我が国第一号のインダストリアルパーク「八幡原中核工業団地」を擁し、伝統産業の米沢織物と合わせ県内一の工業出荷額がある、産業都市でもあります。また上杉氏の治政272年の城下町として、数々の史跡と伝統が息づく歴史の街でもあります。
米沢のお祭り
米沢上杉まつり
【4月29日】:上杉神社例大祭
開幕パレード
【4月30日】:松岬神社例大祭、献花祭
【5月1日】:鯉供養祭
【5月2日】:献茶祭、武禘式(19:00~)
【5月3日】:上杉行列(9:00~)
【5月3日】:川中島合戦(14:00~)
上杉雪灯篭まつり
米沢の名所
上杉神社
明治9年、上杉謙信公、上杉鷹山公を祭神として、米沢城本丸跡に建立されました。
明治35年に別格官幣社(べっかくかんぺいしゃ=明治政府が定めた神社の位置づけ、分類を表す。国に尽力した人物を祀る神社)に指定され、このとき祭神は謙信公のみとなり、鷹山公は摂社に祀られ松岬神社となりました。
大正8年に起こった米沢大火で類焼、ほとんどの建物が焼け落ちてしまいましたが、その後国からの援助金や米沢市民の労働奉仕などにより、大正12年、現在の神社が完成しました。設計は米沢出身で、神社建築の第一人者伊東忠太博士です。
上杉神社は今でも米沢市民の心の支えとなっていて、初詣やお宮参り、結婚式や安全祈願など、四季を問わず多くの市民が訪れています。
神社内には、上杉神社の宝物殿である稽照殿があります。
上杉家廟所
上杉景勝公が亡くなった元和9年(1623年)より上杉家の御廟所とされました。以後、歴代の藩主が埋葬されてきました。
明治6年の米沢城解体に伴い、米沢城に安置されていた上杉謙信公の遺骸も、明治9年、御廟所へ移されました。
廟屋は、上杉景勝公から8代藩主・上杉宗房公までが入母屋造り、9代藩主・上杉重定公(藩政を立て直した名君・上杉鷹山公の義父)から12代藩主・上杉斉定公までが宝形造りと時代により建て方に変化があります。
樹齢400年を越す老杉に囲まれ、厳粛な空気に満たされている御廟所は、大名の墓所の代表例として国の重要史跡に指定されています。